鈍色望遠鏡

文芸サークル「鈍色望遠鏡」のブログです。ただいま改装中。

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放置回避ついでに小説分析メモを

またずいぶんと長いことブログを放置しちゃいました。

最近、忙しかったり体調崩したりで時間がとれなくて……

近況報告としては、期末試験やレポート提出期限が間近に迫っていて悩んだり、職場で新しい仕事を任せてもらって喜んだり、小説:西尾維新の『戯言』シリーズを三巻まで、鎌池一馬の『とある魔術の禁書目録』シリーズを五巻まで読んだりしてました。

『戯言』も『禁書目録』も、プロットをしっかり練り上げた上で書かれたタイプの小説だと感じました。
しかし、『戯言』のストーリーが、主人公やその他のキャラたちの性格とクセのある一人称の文体に、見事に合致した印象を受けるのに対して、『禁書目録』は、ストーリーに合わせて、キャラたちの性格や行動や能力をブレさせてしまっていたり、文章表現がなんだかちぐはぐになっていたりするような印象がありました。

『禁書目録』はなんだか、「かっこいいシーン」や「熱い展開」を書きたいがために、他の要素をねじ曲げてしまっている感じですね。
ただ、こういう作品の方がメディアミックスには向いてるんだな、と実感もしました。
それから『禁書目録』は、巻が進むごとに文章がこなれていたり、キャラクターが成長して(固まって)きていて、五巻なんかはほとんどケレン味を感じずに読み終えることができました。
巻が進むごとに面白くなる話だと思うので、1、2、4巻の読みにくさが読者数を減らしていそうなところが残念でした。

「何」を「どう」伝えるか、っていうのは、コミュニケーションの基本であり、創作の極意でもあるのだろうと思いました。

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カラマーゾフの兄弟

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読み終えたので雑感を。


死を間近に控えた登場人物数名が語る、「全ての人間の罪を私は背負っているのだ」という言葉が気に入りました。

キリストへと罪を押し付け続けていては、おそらく人間は停滞してしまう。
聖者といえども、その肉体はわれわれと同じように「腐る」。
奇跡とは偶然であり、望んだ者に軽々しく与えられるべきものではない。
我々は、自己のうちにキリストを、聖者を、奇跡を見出せるものである。だから人間は「全ての人間の罪は背負う」ことができるし、そうであるべきなのだ。だからこそ人間は尊い。

というような思想がこの言葉に集約されているのでしょう。


また、「大審問官」の章において、キリストに奇跡を求める大審問官に対して、キリストが無言を貫き、口付けのみをするところも印象的です。

「汝の敵を愛せよ」
奇跡を求めずにはいられない立場の大審問官を、反論によってではなく祝福によって諭したキリストは、まさに神の愛の体現者です。

これこそは、他の宗教を排斥し、同じ神を信じる仲間に対しても教義や立場の違いによって反発し続けてきた歴史上のキリスト教とは一線を画した理想的な姿でしょう。



物語としては、「ロシアの上・中流階級の人々の群像劇」という感じです。
中核となるのは、カラマーゾフ家の三人兄弟とその父親、それから彼らの恋人たち。
この小説は二部構成の小説の第一部(二部は未完の遺作)とのこともあって、やや伏線を投げっぱなしにしている感もありますが、事件の終結やそれによる人々の変化・成長が描き出されている点で、物語としての完成度もかなり高いと考えられます。
少なくとも、読後に不満が残ったりはしませんでした。



この小説は、良質な小説であると同時に、壮大な思想書でもあるのでしょう。
だからこそ、『東大の教授が新入生に薦める本No.1』なんて紹介がされるのだと納得しました。(個人的には、この紹介を見ると権威主義への反発心が起こるのであんまり好きではありませんが)
多くの人に読んでもらいたい名著です。



余談ですが、個人的に大好きな小説家(兼ニート)の「杉井光」氏の作品の根底には、ドストエフスキーの思想が流れているように感じます。
特に『神様のメモ帳』シリーズには。
興味のある人は是非読んでみてください。
ニートが可愛い青春探偵物語です。


…とかいってたら、「神様のメモ帳」の四巻の発売が決定してた!
7月10日(金)か!
絶対発売日に買うわ!

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東方×クトゥルフ×神話論

東方プロジェクトとクトゥルフ神話はよく似ている、というのが今回の評論のテーマです。

・どちらもある意味では、ニーチェ以後の「神無き時代」に生まれた、フィクションであることが前提の神話(のような作り話)であること。
・過去から存在する同分野の意匠を、自身の作った神話の中に取り込んでいること。(クトゥルフにおいてはグールや半魚人など、東方においては妖怪や妖精など)
・個別の作品そのものよりも、そこに登場するキャラクターの方が有名かつ愛されていること。
・どちらの作品のキャラクターも、完全に固定化された外見や内面性はもっておらず、ある程度、読者によってファジー(曖昧)に解釈されること。
・作者以外の人物により、偽典的な物語が作られていること。

など、構造的な面での類似点を多く感じました。

「東方の人気は一過性のブームだから、数年内に人気は無くなる」
なんて説が語られることがあるけど、こうして見てみると、
「東方とは、ブームによって人気の左右されるたんなる物語ではなく、人の心の奥底に根差した『神話』の一種であり、クトゥルフ神話のように、時代を越えて愛され得るのではないか?」
とも思えてくるんです。


まあ、ようするに何が言いたいかといえば、
「東方は不滅」
ってことです。


あー、クトゥルフ神話と他神話との比較もしてみたいなあ……

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澁澤龍彦【ポルノグラフィーをめぐる断章】より

澁澤龍彦『少女コレクション序説』(中公文庫)中に収められた【ポルノグラフィーをめぐる断章】という評論に、クロンハウゼンなる人物が列挙したらしい「ポルノグラフィーの特徴を示す十一項目のリスト」が掲載されていました。

その内容が現代にも通用するものだと感じたので、自分の意見をつけたして、ここにメモを残しておきます。

以下、ポルノグラフィーが嫌いな人や、私の家族は読まないでください。

……いいな、読むなよ!
絶対読んじゃだめなんだからな!
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涼宮ハルヒの終焉

最近いい加減な日記ばかり書いていたら、文学マニア(本人は気違いを名乗ってる)の先輩から、
「文学のことも書けよバカヤロー!」
って罵倒されました。

仕方がないので、
「じゃあ、カラマーゾフの兄弟を読んだので、その感想でも書きますよ」
と言ってその場は逃れたのですが、実はまだ下巻を読み終わっていないうちに図書館の貸し出し期限が切れて返してしまったので、あと一週間くらいはちゃんとした感想を書けそうにないです。


というわけで、今回は別のことを書きますよ。

ただいま絶賛「あらためて」放送中のアニメ、『涼宮ハルヒの憂鬱』……の原作小説、「涼宮ハルヒ」シリーズに関する評論というか考察というかまあそんなものです。

論文仕立てに書きあげるのは面倒くさいので、若干箇条書きっぽくなります。

――さて、涼宮ハルヒシリーズといえば、おそらくみなさんご存知の通り、美少女「涼宮ハルヒ」を中心にして巻き起こる様々な騒動を、高校生の少年「キョン」の視点と口調で描き出している大人気シリーズ(詳しいあらすじは書くのが面倒なのでググッてください)。
そして現在、シリーズ最新作の『涼宮ハルヒの分裂』が発売してからおおよそ二年が経過し、「このまま続編が発売されないんじゃないか……」なんて心配をされている作品なわけです。

そんな「完結するかどうかわからない」涼宮ハルヒシリーズにおける物語のエンディング(つまりは『終焉』)がどうなるのかを構造論的に予測してみようというのが今回のテーマです。


以下、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』及び、小説『涼宮ハルヒの憂鬱』、『涼宮ハルヒの消失』、『涼宮ハルヒの分裂』に関するネタバレがありますのでご注意ください。


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