鈍色望遠鏡

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涼宮ハルヒの終焉

最近いい加減な日記ばかり書いていたら、文学マニア(本人は気違いを名乗ってる)の先輩から、
「文学のことも書けよバカヤロー!」
って罵倒されました。

仕方がないので、
「じゃあ、カラマーゾフの兄弟を読んだので、その感想でも書きますよ」
と言ってその場は逃れたのですが、実はまだ下巻を読み終わっていないうちに図書館の貸し出し期限が切れて返してしまったので、あと一週間くらいはちゃんとした感想を書けそうにないです。


というわけで、今回は別のことを書きますよ。

ただいま絶賛「あらためて」放送中のアニメ、『涼宮ハルヒの憂鬱』……の原作小説、「涼宮ハルヒ」シリーズに関する評論というか考察というかまあそんなものです。

論文仕立てに書きあげるのは面倒くさいので、若干箇条書きっぽくなります。

――さて、涼宮ハルヒシリーズといえば、おそらくみなさんご存知の通り、美少女「涼宮ハルヒ」を中心にして巻き起こる様々な騒動を、高校生の少年「キョン」の視点と口調で描き出している大人気シリーズ(詳しいあらすじは書くのが面倒なのでググッてください)。
そして現在、シリーズ最新作の『涼宮ハルヒの分裂』が発売してからおおよそ二年が経過し、「このまま続編が発売されないんじゃないか……」なんて心配をされている作品なわけです。

そんな「完結するかどうかわからない」涼宮ハルヒシリーズにおける物語のエンディング(つまりは『終焉』)がどうなるのかを構造論的に予測してみようというのが今回のテーマです。


以下、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』及び、小説『涼宮ハルヒの憂鬱』、『涼宮ハルヒの消失』、『涼宮ハルヒの分裂』に関するネタバレがありますのでご注意ください。


――『涼宮ハルヒシリーズにおける物語のエンディングはどのようなものだろうか?』
ということを考えるときには、おそらく、おおまかに分けて次の三種類の立場で論ずることができます。
1.【涼宮ハルヒシリーズに明確なエンディングなど存在せず、「最終話の後もハルヒ達の「日常」(騒動)は続く」】とする立場
2.【既にエンディングは語られており、現在までに書き進められた物語は「蛇足」でしかない】とする立場
3.【エンディングは今後なんらかの形で語られる】とする立場

これらの立場について、一つずつ解説を行います。


まず、1.【涼宮ハルヒシリーズに明確なエンディングなど存在せず、「最終話の後もハルヒ達の「日常」(騒動)は続く」】とする立場について。
これは、登場人物達に「成長」(あるいは「結論」)が求められないタイプの物語、もしくは、登場人物たちの存在が、もともとその世界観の中に「適合」している(解消すべき「不和」が存在しないが少ない)タイプの物語において採用されることの多いエンディングです。
言ってみれば、『サザエさん』や『ドラえもん』国民的アニメ(漫画)において、登場人物が年齢を重ねずに、いつまでも同じような「日常」を繰り返している例や、かつて放送されたバージョンのアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が、何も事件の起こらない「とある雨の日の日常」を描いて最終話とした例に代表できる、『モラトリアム』(あるいは『打ち切り』)的なエンディングです。
この場合、ハルヒ達は小説の完結後も「仲間」であり続け、また、ハルヒは「神」であり続けるだろうという事が予測されます。

涼宮ハルヒの憂鬱が、商業的、あるいは作者の都合によりこうしたエンディングを迎える可能性も無くはないです。
しかし、「物語の結論」が語られていない点で、「物語の終焉」という意味でのエンディングとしてこれは不完全なものです。
だから、この『モラトリアム』的なエンディングは、今回の「終焉予測」の中からは除外することにします。


2.【既にエンディングは語られており、現在までに書き進められた物語は「蛇足」でしかない】とする立場について。
これは、さらに具体的に言うならば、涼宮ハルヒシリーズは、『涼宮ハルヒの消失』において一度終焉を迎えており、それ以後に語られた物語は、テーマ性を失い、物語の穴埋めを行っているだけの「おまけ」に過ぎないとする立場です。
この立場は、一見荒唐無稽なようでいて、実はひとつの真実をつかんでいます。
なぜ、涼宮ハルヒシリーズは、『消失』の時点で終焉を迎えているといえるのか?
これは簡単なことで、『消失』においては、涼宮ハルヒシリーズの語り手でありハルヒと並ぶ主人公であるとも言えるキョンの、精神的な成長が、明確な結論を伴った形で表現されているからです。
キョンはもともと、ハルヒの騒動に巻き込まれることを迷惑なこととして語り続けていたのですが、この『消失』のラストにおいて、特殊な能力を持ったSOS団のメンバーたちのことを、能力も含めてかけがえのない仲間であると認め、ハルヒの起こす騒動を自らも心のどこかで楽しみにしていたこと、これまでは流されるままに受け入れていた事態を、これからは主体的に楽しもうとすることを語っています。
こうしたキョンの心情の変化、自分の身の回りで起こる不可思議な現象をありのままに受け入れる心性を手に入れたことは、いわばキョンというキャラクターの(一応の)完成であり、キョンの物語の完結であるといえます。
しかし、キョンの物語の完結を、涼宮ハルヒシリーズの終焉と同一視することは危険です。なぜなら、キョンの物語は終わっても、ハルヒの物語はまだ続いている、というかある意味ではまだ始まってすらいないのですから。
それというのも、ハルヒはいまだに自分の持つ特殊な能力に気付いていない(はず)からです。

涼宮ハルヒシリーズにおいて、ハルヒは、世界の『神』と言われるほどの強力かつ特殊な力を持っています。
しかし、ハルヒはその能力の特殊性ゆえに、自己が力を持っていることに気付いていません。
これがどういうことかと言えば、つまるところハルヒは、自己の能力が世界にどんな影響を及ぼしているか認識できない以上、能力に関わる問題において、精神的な成長が望めないということです。
構造論的方法論によれば、物語というものはすべからく『欠けたものを取り戻す』運動によって成り立っているそうですから、「現実への不満」と「自己の能力への認識の欠如」という二つの『欠けたもの』をもつハルヒの物語は、そうした意味でまだまだ終わりを迎えそうにありません。


3.【エンディングは今後なんらかの形で語られる】とする立場について。

さて、今回の「終焉予測」の三つの立場のうち、『1.』『2.』という二つの立場を否定してしまった以上、残るはこの『3.』の立場のみとなりました。
つまるところこの立場が、現在私が想定する涼宮ハルヒの終焉なわけですが、【エンディングは今後なんらかの形で語られる】という表現ではあまりにも曖昧模糊としているので、もう少し具体的にエンディングへと至る筋道を予測してみます。

一.【実は特殊な力を持っていたのはハルヒではなくキョンだった】
二.【実は特殊な力を持っていたのはハルヒでもキョンでもない別のキャラだった】
三.【ハルヒの能力は、ハルヒ自身の力ではなく、誰かに与えられたものだった】
四.【ハルヒは自己の能力に気付き、能力に関する結論を出す】
五.【ハルヒは自己の能力に気付いていた。そのことをキョンが知ったことで、ハルヒは能力に関する結論を出す】

可能性として考えられるのは以上の五つです。

ややこしいので、細かい要素の検分をする前に、可能性として低そうなものをまずは除外してしまいましょう。

まず、『一.』、『二.』については、これまで描かれた物語が、あくまでもハルヒを中心とした人間関係で起こっていること、谷川流はこれらに類するオチをすでに電撃文庫『学校を出よう!』シリーズの中で使っていること、この終焉ではハルヒの精神的成長が描きにくいこと、あまりにも「どんでんがえし」すぎてファンの期待を裏切りかねないことなどから、これらがエンディングへと至る筋道として採用される可能性は少ないでしょう。
ちなみに、派生系として、「すべてはキョンの(誰かの)夢だった」という結末も予測できますが、これも上と同様の理由により否定できます。

次に『三.』については、「神に等しい能力を人に与えることのできるものはおそらく神のみである」ということを考えると、人間に理解できる目的や人格を持った存在として、ハルヒに力を与えた黒幕を想定することにはあまり意味が感じられません(なぜならば、その人物は、姿を変えた『涼宮ハルヒ』にほかならないからです)。
だから、『三.』もやはり可能性として低いと考えられます。

こう考えると、残る可能性は
『四.【ハルヒは自己の能力に気付き、能力に関する結論を出す】』

『五.【ハルヒは自己の能力に気付いていた。そのことをキョンが知ったことで、ハルヒは能力に関する結論を出す】』
のみです。
さて、この二つの予測には、いかなる違いがあるでしょうか?

最も大きな違いは、『四.』においては、ハルヒ自身の認識が終焉の鍵になっているのに対し、『五.』においては、傍観者であるキョンの認識が終焉の鍵になっていることでしょう。
これは、自己の認識に自己の本質を見いだすか、それとも他者との関係性に自己の本質を見いだすかかという哲学的な問いにも繋がることでもあると思われます。
その上で私は、涼宮ハルヒシリーズの終焉は、『五.』であることが相応しいと考えます。
なぜならば、涼宮ハルヒシリーズは、登場人物たちが、「他者との関係性に自己の本質を見いだす」物語であったと感じるからです。

しかし、『五.』の筋道が採用されるとなると、エンターテイメント作品としてはいささか地味なエンディングになってしまいます(能力に気付いたハルヒの葛藤が描けないから)。
それをふまえると、涼宮ハルヒシリーズの終焉は、
『自己の能力に気付いたハルヒが、世界の危機をも引き起こすような騒動を巻き起こす。それを解決したキョンたちSOS団員は、実はハルヒは以前から自己の能力に気付いており、気付いていることを団員たちに知られてしまえば、現在までの人間関係が崩れてしまうのではないかと考え、そのことをひた隠しにしてきた。そんなハルヒをキョンたちは許す』
というようなものになるのではないかと私は予測します。(ここに長門、朝比奈、古泉の危機という要素が入る可能性も高い)

そしてまあ、【ハルヒは能力に関する結論を出す】という要素に関してですが、これは、
A.【自己の能力の使いこなせるようになる】
B.【自己の能力を封印or消去する】
という二つの結論が予測されますが、世界の中でハルヒの能力か、イレギュラーなものとして認識されている以上、『B.』の意見が採用される可能性が高いです。

以上が私の考える『涼宮ハルヒの終焉』です。


いかがでしたでしょうか?

今回の評論の反省点は、書き始めから書き終わりまでにだいぶ日を空けてしまったので、全体の整合性がやや甘いところ。
良かった点は、書きながら気付けたことがいっぱいあったところかなあと思います。

携帯電話のみを使って書き進めたせいで、自分が前に何を書いたのかを把握しきれてません。
後日、細かな部分の修正を行おうと思います。

修正とは別に、もっと論理を明確にして同じ題材についてまた評論を書きたいとも思っているので、感想・意見・疑問・批判などがありましたらコメントを頂けると嬉しいです。

それから、近く活動を始める予定の『プロット研究会』(ブログを作成したので、後日リンクを貼っておきます)では、こうした評論やプロットの実作などを行っていきたいと考えているので、興味のある方はご連絡ください。

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